my organicのブログ

心理学と栄養学から見えるorganicのこと

相手を尊重することと、尊重したふりをすることの違いについての話

日中暑くて朝晩涼しい。残暑バンザイ!

いや〜、過ごしやすいですね。

今年は、川遊びができていないのがちょっと夏の心残り。

皆さんいかがお過ごしでしょうか?

 

夏休み約1ヶ月半は、1日3時間ほど「自分の時間」が減る日々でしたが、

昨日から無事に学校が始まり、ホッとしています。

同じく、子育てをされている方は今から、9月半ばあたりから急に体調不安が出てくるかもしれません。

慌てず、早めの対処を心がけてほしいと思います。

 


さて、ちょっと前に「知ってるとわかっているとは違う」「できるとできているも違う」というようなことを書きました。

「そんなこと、わかってる〜」

きっと、ほとんどの人がそう思うんだと思います。

 

果たして一人ひとりの達成度は、その人の判断に任せるとして。

 

単に食のアドバイスでも、健康管理のカウンセリングでも、心理学を用いたセッションでも、

良いことも悪いこともわかっていて

ちゃんと応用できているかどうか

実生活の中で役立てているかどうか?

というのは、私にとって重要な事柄のひとつです。

 

それらは、自分が人の話を聞いている時にどうか?で、少しわかります。

 

人によってそれぞれの解釈あり、いろんな態度がある

人と話している時、例えば私たちはこんな風になります。

 

ウンウンと頷きながら聞いていたり、

黙っていて聞いてるのか聞いてないのかわからないようで聞いていたり、

相手の話し終わりが待てず口を挟んできたり、

自分の意見を言いたい衝動に駆られるのを我慢していたり、

余計な一言で嫌な空気にしてしまったり、(本人は気づいてはいないけど)

また、どんな話をしてもいつも着地点が同じような人もいます。

 

『同調』や『論破』など。

みんな少なからず“お気入り”があるのですね。

 

 

「詳しい知識はないけど聞いたことがある」ことに対して人は、

わかったふりをしたり、活発に議論したがったり、勘違いしていたりします。

 

「知識があるから知っている」ことに対しては、

知らない人を下に見たり、余計なお節介をしたり、偉くなった気になったりします。

 

「やったことがあるからわかっている」ことに対しては、

いつでもどんな時でもできる、すぐに極められると思ったりします。

 

「わかっているしできたことがある」ことに対して

プロ目線だったり、その気になれば群を抜いて自分だけ変身できると思っていたりします。

 

「いつもできている」ことに対して、

人は特に語らないものです。

 

 

声に出さなくとも、言葉にしなくとも、頭の中でやかましく喋る声があるのならば、それはほぼ同じこと

 

心の使い方ひとつで、ストレスを増やしたり減らしたりできるだけでなく、健康管理はもちろん、体質を改善したり、生きづらさに向き合ったりもできるのは確かです。

 

無論、これらは“今知ったから自然とできるようになる”なんてことは、まずないのですが。

 

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私の場合、外見コンプレックスの悩みを乗り越えれたのは、10〜20代頃のメイキャップがきっかけ♡

ただ、大人になっても「乗り越える」ことにしがみつかない。目標を達成したら、次のフェーズへと進みます。(次の問題ではなく)
 

尊重“できているかどうか”は、態度に出てしまう

人は大人も子供も、自分を尊重してほしいと願う生き物です。 

子供なら、なぜかわからないけどやりたいものはやりたい。

大人なら、これまでのやり方から何かを学んだかもしれません。

 

自分にも言いたいことがあるように他人にも言い分があります。

 

大人になった今、頭の中のかましい声は、

『良くない大人に一言物申したい』という子供っぽい自分から?

それとも

『できない子供を順応させたい』という親目線から?

 

あくまでもこれまでの経験上ですが、

見せかけの自分

本当の自分

本来の自分

ありのままの自分

これらを、聞いたことや読んだことや学んだこと、つまり知識と回想のみから表現できる、または区別できるようになった人は、おそらくいないのではないかと思います。

 

何かにしくじったあと、

「出来るだけ人と関わりたくない」

「世俗と関わると自分らしくいれなくなる」

「他人は決まって自分自身を見失わせる」

「可能な限り独りでいたい」

「結局のところ人がきらいだ」

そんな風に思ってしまう人がいます。

 

相手が悪いんだ、自分が悪いんだと、答えを急がず、冷静になってみましょう。

そこには、しくじる原因となる何かや上手くいかない何かのパターンが必ずあります。

 

人と関わるということは自分を思い知らさせるという“危険を孕んで”います。

 

だから、

自分と深く関わることが怖くなり、

ここまできたのだから今後も避けたままでいたくて、

そんな意気地のない自分が嫌なのだと思います。

 

という人が子供を産んで育てたり孫を迎えたりするのです。

いつの時代も。

 

だけど、人と人とのコミュニケーションが減ると、もっと生きづらくなるのだそう。 

 

「私は正しくてあなたは間違っている」という態度、

「あなたは素晴らしくそれに比べ私は全然ダメだ」という態度、

ここに、自分の中の他人や家族に対する損なわれた尊重がみえてきます。

 

依存者と共依存者とのセッションビジネスが盛ん

子供が何を考えてるのかわからない。

自分のこともわからない。

だから、誰かに手伝ってもらいたい。

 

例えば、依存性のないセッションを経験せずに、自分に優劣なく気づき、自分を深く知り、そのままの自分を認め、最終的に自分と親たちを許すことなど出来るのでしょうか。

 

言い換えれば、

依存性のあるセッションは、そこに引き込まれた人たちにとってはとても心地よく気分が良いものですが、

一度その空間とテリトリーから出ると、不安や恐怖や罪悪感や無力感を感じるもので、必ずと言っていいほど戻りたくなります。

もし繰り返してしまう、引き戻されてしまうのなら、

これは施術者自身が他に依存しているに他ならず、依存者がいてくれないと自分を保てないということ。

“許した振り”では次に進めない。のは、当然ではないでしょうか。

 

これは、増え続ける依存ビジネスが悪いのというのではなく、

依存している自分にのみ溢れる愛を感じ、依存していない自分に空洞を見つけるからでもあります。

 

真に『自分を癒し自分の足で歩く』って、そう誰もが“できている”わけではなく、まったく簡単ではないのです。

 

ちょっと厳しいことを書きましたが、

どんなことも

知ってハイ卒業!は不可能です。

わかって卒業⁉️

できた!で卒業⁉︎

これでも、やっぱり戻ってしまいます。

自分自身の何かも、自分自身も。

 

戻す力、沈む力って、

上がろうとする力、上がれる力の何倍すごいと思いますか。

 

『できている』になるまで、人と関わり、人と交わり、大変な思いをして訓練していく。

 

やりたくない時は休んでもいい。

できなくても、諦めなくていい。

なにかちがうと思ったら信じようとしなくてもいい。

自分を信じていい☆

 

アラフォー、アラフィフの逞しさを含んだ決意って、若い頃よりも安定してキラキラしてきますよ♡

 

人がやらないことをやる。

いつだって、挑む相手は自分自身。

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ごく自然な周りの環境本来の自分が合わさって、ありのままの自分に。

それは自律性のある人格を目指すこと。

my organicのグリーンとパープルの意味するところです💚💜

 

まとめると、

①『できていない』はコミュニケーション態度にでちゃう

②『相手のため、あなたのため』は自分だけのため

③どんなに強く決意しても、気がつけば目的がすり替わっていることは大いにある

 

あなたに有意義な日々が訪れますように♡

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。