my organicのブログ

心理学と栄養学から見えるorganicのこと

他者は自分の欲求を満たすためのものだと考えているとどうなるか?

上から下だと支配欲や所有欲が発動される

前々回の時、自分自身に疑問を投げかけてみました。

「配慮とは誰もが自然とできるものではなく、気配りや思いやりや先回しとは違うことを理解しているのだろうか。」

配慮とは、簡単なようでそうでもないのだと感じています。

 

私たちは個人の思考だけでは、他人への配慮が正しくできているかどうかもよくわかりませんが、

それよりも、自分自身への配慮こそ足りないこともよくあります。

 

では、自分の子供への配慮はどうですか?

上から下へと向かうコミュニケーションばかりになっていませんか?

 

心が発達中の子供は、それこそ言葉は生意気に話し出しますが、

心の中でなぜそう思うのか?を、本人もよくわかっていないことがほとんどです。

もしくは感覚でなんとなくわかっていても、それを伝え表現する適当な言葉にまだ幅がありません

 

どうせわからないのだからと適当にやり過ごしたり、親の思うように命令指図しても良いはずはありません。

 

両親の価値観が違うのは、これまで生きてきた環境が違うのですから当たり前なことです。

では、両親の価値観が同じであることがいいのか?違う方がいいのか?

という問題ではなく、

それによってどんな雰囲気で家族の日常が動いているのか。の方が大切となります。

子供といえ1人の人間、です。

※コミュニケーションの方法についてはセッションで行なっていますので、ここでは具体的なことは書きません。

 

良くないのは、日頃から親が子供に聞かせている言葉、そして親が他人と関わる中で言葉や態度や雰囲気に矛盾を感じた時の、子供に与える後味の悪さ(時にショック)の積み重ねです。

これらは、子供に衝撃と落胆を与えるだけでなく、表現できない困惑と不安を抱かせることになります。

こと母親の不安は、できるだけ子供に伝わらないようにしたいものです。

 

大丈夫、隠せている。と⁉︎

いえいえ、心や感情の部分で子供に隠せることなど、ないのですよ。

 

f:id:myorganic:20210712131458j:plain

 

余談ですが、

小学校の道徳では、当たり前のに出てくる「挨拶は大きな声ではっきりと!」

そこに、挨拶のできない親御さんがいます。

その子供は自分の親が挨拶のできない大人である事実を「私もほんとは恥ずかしい…」と言っていました。

そう正直に言える今こそが素晴らしいこと。

 

親が学ばせたいことを子供が素直に学ぶとは限らない 

例えば昔から、

人には優しく、迷惑をかけず、自分の意見を言って場をかき乱さず、自分のことは我慢し、人前ではいつも笑顔で、ポジティブに。

私たちの親の世代、祖父母の世代はそれが当たり前のように行われていました。

そうしていれば、人に愛される、人を愛するとはどういうことなのかを、私の(親の)言葉と姿を見て学んでくれるに違いないと思っていたのでしょう。

 

では、実際にそこから強く影響されることは何なのでしょう?

 

親に怒られないように怯え、親に嫌われないようにと不安を抱え、親の期待に沿おうと自分を抑圧し続けているせいで、消耗しきってしまった小さな心があります。

どうすることもできず、自分を表現することや、それについて考えること自体を手放しつつあります。

 

子供の頃から、なんとなく親を失望させてはいけないという重荷を背負わされ、人前では自分らしくしないという美徳の仮面をかぶりながら、家では好き勝手言動することで発散しているつもりでいる、身体だけ大きくなった子供たち。

時と共に大人の矛盾から、人生への絶望感や嫌悪感を教え込まされたのかもしれません。

f:id:myorganic:20210712131539j:plain

f:id:myorganic:20210712131557j:plain

こ、こわい。。笑

 

人生の目的が“自分を満たすため”になると?

母親は子供を持つことで自己権利欲が満たされるそうです。

ちなみに、父親はそこが満たされないので「子供以外で」満たそうとするのだそう。

また、子供を持たない女性は他の生き物、ペットなどからそれを満たそうとします。

 

人が持つ支配欲や所有欲、そして権利欲。

これを1世代や2世代で説明するには到底難しいのですが、、

 

「そういや自分も子供の頃そうだったな、、」となることも多く、

そんな子供が大人になり、

ひとたび「あなたの好きなようにしていい」となった時、

途端に何をして良いのかわからなくなる。

 

あんなに心の呪縛から逃げ出したかったのに、

「結果的に何もできない自分を見させられ、さらに落胆する」

それがどうしてなのかがわからない。

そして親になってしまった。

今、子供が同じように悩んでいるとも知らずに。

 

そんなケースをいくつも見てきました。

 

あれはダメこれはダメ、ああしなさいこうしなさい。

と子育てで叱ることや、なんでも先回しでやってあげる甘やかし。

 

大人も子供も『否定される』ことは気分の良いものではありませんね。

 

答えはわからないし、決めつけなくてもいいんですから。

指図したり否定しなくても、そのうち自分で考え、自分の力で答えを、仮説を見つけてきます。

それを信じるだけ。

 

『正解のない子育て』私も日々、頑張っています。

待つことが苦手だったせっかちのこの私が、相手のことを思いつつじっと堪える姿は、我ながら面白く…。

成長以外の何ものでもないと。いうことにしてます。笑

※「意味付け」についてもまた書きますね。

 

で?配慮って簡単じゃないの? 

さて、my organicで大切にしているブログトップページのこれ。

organicな食…それは、正直な地球の味を食べること

organicな身体…それは、自然に近い習慣で本来のあなたの体質へ引き戻すこと

organicな心…自分らしい心のあり方で自分と他人に配慮すること

 

 

配慮ってなに?

思いやり、気遣い、気配り?

だとしたら、人によって発し方も捉え方も違うのだからうまくいくはずもありません。

 

相手が、家族であれ、子供であれ、他人であれ、配慮が欠けると本当の想いや愛情は相手に届かないものだと思います。

 

①【相手に適切な配慮をする】には、当然ですが相手のことを知る必要があります。

相手をありのままに知るということです。

そもそもこれができていません、、私たちは、驚くほどできていません!

 

配慮するためには、

②【自分の中の責任を明確に】しなければなりません。

責任とは、言われたからやるとか与えられたからやる、という感情的で受動的なものではなく、もっと自発的で自然な働きかけのことをいいます。

 

ということは、

③【相手を尊重】できていなければ、当然ながら、責任感が自分の中に見えてきたり生まれてはこないものです。

尊重とは相手がその人らしく成長することを何より気遣うことです。

もちろん、支配や所有のような要素は全くなく、利用することでもない。

◯◯としての責任です。

 

では「その人らしく」を想像するには?

④結局【相手の本質を知る】ことができなければ洞察できないのですが、

その前に

 

⑤【自分を知る】ことができていなければ、自分の中の何を通して相手を見ているのかがわからず、そもそも相手が見えてくるはずもありません。

 

ゆえに相手の出方次第で一喜一憂したり感情的に反応している自分がそこにいる、のですから。

  

人は自分のことを知っているようでほとんど何も知らないので、

褒められると否定し、怒られると影で文句を言い、無視されたら無視し返す。

だから、いくら資格を取っても満足できないし、一時的な気分転換で回復できないし、栄養素を無駄に消費してしまい不調の絶えない身体となっていくのでしょう。

 

言い換えれば、

子供へ配慮をしない行為というのは、『子育て中』という肩書きを使って自分を満たそうとできるということで、

親子ともに健康問題を抱えているということです。

もしも生き方が間違っていれば、そのシグナルはあらゆるところから出ているものです。

 

子供を理解し、尊重し、親の責任として配慮できていますか?

「できる」と「できている」は全く違います。

「知っている」と「わかる」もぜんぜん違うのです。

 

母親ならこう思うと思います。

「そんなことわかっているけど、日々のやることに追われてゆっくり考える時間もない」

あなたの母親も祖母もそうだったように。

 

my organicは、諦めず、前に進みます。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。