my organicのブログ

organicな心理セラピスト

私は、どんな母親でありたいか

子を思う親の気持ちと親の心子知らず

お正月の神社で、念願のカステーラが買えず(悪天候で閉店直後だった)

その場しのぎで「じゃあ家で抹茶カステーラとかつくろっか」と言ってみたら…本当に作ることになった件。

 

娘の条件は「オーガニックの米粉のとかはいやだ。グフテンフリーもいや〜」

うん、フツーのが食べたいんやね、了解!

 

ところで、

我が家の場合はちょっと別かもしれませんが、

私は若い頃、小麦アレルギーやカンジダで辛い日々を送った過去があり、

この体質傾向を(物質原因による発症)早々に遺伝させては娘がかわいそうだと思い、私自身は妊娠2年前から、生まれてからは娘も“小麦9割抜き生活”をしました。

※9割というのは、醤油や調味料などに微量に入ってるものまでは神経質にならなかったということで

 

小さい頃に“みんな当たり前に食べている”お菓子を、当たり前に食べさせてもらえなかったことは、母親の優しさだけどやはり憎しみを覚えていたりします。

 

小麦は良くないからと米粉ばかりで“みんなと同じでなかった”ことは、悲しくて仕方なかったけど私のためを思って選んでくれていたのだと後に感謝もします。

 

とはいえ、リクエストに答えて美味しいカステーラを小麦で。

抹茶はついでに京都で購入することにしました。

 

冬の京都は久しぶり

やっぱお日様いいなぁ〜。

東本願寺には、祖母と父親が亡くなった時に母と一緒に来たっきりで、

今回、母は納めていません。

 

昨年秋にお墓仕舞いをして永代供養に切り替えたことで、ひとつ儀式がなくなってしまったけれど…。

“喪の仕事”は、私なりに済んでいるつもりだからです。

 

お墓に行ったりお寺に行ったりお仏壇前に座れば亡くなった人に“会いにきた”となるわけではないと思いますが、

お寺さんで行うこの日本のしきたりは、喪を日常に取り入れることができる良い風習だなぁと思います。

 

例えば、生前してあげれなかったことや、悔やみ、償いの気持ちに留まってしまい、

人によっては失った事実を受け入れることができずに喪や悲哀の段階を辿らないことがあります。

悲しむことから逃げてなんでもないように振る舞うことをポジティブといったりはしないし、ずっとそのまま過ごせることなどないでしょう。

 

必要な段階を促すかのように、

初七日、四十九日、一周忌、3回忌などがあります。

ちなみに父は昨年25回忌でした。

段階を経て、故人を思い出し語り合い生前との解釈が変わっていく。

喪失する体験とは決して辛く悲しいだけのことではないと思います。

 

それは各々が自分の人生中に辿らないと自分の中に答えを見つけ出せないことがあまりにも多いのではないかと思うところです。

なぜなら、喪失は必ずしも対人間だけに起こるわけではないからです。

親、友人、恋人、仕事、役割、地位、家、思い出の品物など。

 

『子を思う親の気持ち』だったのか、それとも良い母親だと思われたくて人と違うことをしただけなのか。

母のことも、自分がやったことも、後になってわかってきます。

 

さて、20年以上前、ここに住んでいた頃には気にもとめなかったけど。

えべっさん”があちこちにありました。

商売繁盛、家内安全。

 

カステーラの屋台があればここで買ってしまえ〜!と思ったが、なかったのでやっぱり家で作ることにしました。

 

あまりに可愛くて、箱欲しさに衝動買いした「猫クッキー♡」

 

いざ抹茶カステーラ

「少ないな。もう少しかな。もう少し入るかな。」

1つの穴に3段階で入れる、、

なんでも慎重な娘は、とにかく遅いのです。

サッサと入れて手早くひっくり返したいのだけど、最初のが焦げ始めてきた。

どのみち食べるんだから、どーでもいいやん。と見ていられない私、、笑

ひっくり返すのに手こずるふたり。

なにこれ、どっちも下手くそすぎる。笑

organicメープルシロップで美味しくいただきました♡

もひとつよかったことは、キッチンペーパーではなく、スポンジで米油を塗ったこと。

 

思い出話の途中に、

耳が遠いから話が上手くできないと疎遠になったばぁちゃんがいなくなって初めて「もっといろんな話をすればよかった」と娘が言います。

 

そういや、

私が母の死期をわずかに悟ったのは、亡くなる1年半前と2ヶ月前の2回ほどありました。

乗り気でない娘を連れて実家へ立ち寄ったのはついこの間のように思い出します。

 

自分の中に何かこれまでにないものが溢れてきた時、

あぁ私はその人の愛情に確かに支えられていたんだなぁと気づくものです。

 

と同時に、良いことと悪いことは表裏一体であることを認めざるを得ません。

愛と憎しみじゃないけど、

愛を知るには自分の中に湧き出る憎しみから目を背けては生きていけないのだと。

本当にそう思います。

 

無くしてしまった時間も失くした人も、二度と戻らない。

二度と戻らないからこそ。

認めるか認めないか

悲しむか悲しまないか

その訪れを恐怖と感じることができるのか逃げ続けるのか

 

小麦アレルギーではない娘にひと安心の今、ですが、

 

小麦のカステーラを食べて満足♡

小麦で作って欲しいと言えた勇気に満足。

言ってみたら本当に小麦で作ってくれた母ちゃんに満足そうでした。

よかったね!

 

これまでもこれからも

当たり前に感謝する時間を大切にしていきたいと思いました。